マーク・カヴェンディッシュが語る「うつ病」との闘い 世界最強スプリンターが味わった“空っぽ”の日々と復活

ツール・ド・フランス通算35勝。歴史上最も偉大なスプリンターの一人、マーク・カヴェンディッシュ。
圧倒的なスピードで勝利を積み重ねてきた彼が、2017年以降「空っぽ」になってしまったことを、あなたは知っていますか?
低迷の始まり ― 2017〜2019年(Team Dimension Data時代)
カヴェンディッシュは2016年にDimension Dataへ移籍し、同年のツール・ド・フランスで4勝を挙げるなど、
まだ全盛期の勢いを残していました。
しかし2017年4月、エプスタイン・バーウイルス(EBウイルス)に感染。慢性的な疲労に悩まされ始めます。
2017年
アブダビ・ツアーでステージ1勝を挙げるも、
ツール・ド・フランス第4ステージでペーター・サガンとの接触落車により肩甲骨を骨折してリタイア。以降、成績は急降下。
2018年
ドバイ・ツアー第3ステージで勝利(これがこの時期の最後の勝利)。
その後も複数の落車(アブダビ・ツアーでの脳震盪、ティレーノ〜アドリアティコでの肋骨骨折、
ミラノ〜サンレモでの大落車)が続き、ツール・ド・フランスでは第11ステージでタイムオーバーにより失格。
2018年8月、再びEBウイルスが検出され、完全休養を余儀なくされる。
この年の8月に臨床うつ病と診断された。
2019年
完全に無勝利のシーズン。
チーム代表のダグ・ライダーが、スポーツディレクターのロルフ・アルダグの反対を押し切って、ツール・ド・フランスのメンバーからカヴェンディッシュを外す。
本人は「完璧な状態でピークを合わせていたのに」と深く傷つき、チームとの関係は決定的に悪化した。

この期間、カヴェンディッシュは「世界一から一夜にして最悪の選手になった」と表現しています。
身体が動かないのに「気合で復帰しろ」と周囲から求められる状況が続き、精神的に追い詰められていきました。
2. うつ病の症状と家庭への影響
本人はこう語っています。
「何も持っていなかった。何も欲しくなかった。何もしたくなかった。何も感じなかった。
ただ、空っぽだった。価値がないという感覚。人として、父親として、友人として、夫として生きる気力すら失っていた」
以前は「うつ病なんて言い訳だ。気合で立ち直れ」と本気で信じていた人間が、自らその闇に落ちたのです。
妻のペタ・トッドは「あの頃の彼は本当の彼ではなかった」と振り返ります。
些細なことで喧嘩が増え、時にはどこにいるのかわからなくなることもあったといいます。
家庭にも大きな負担がのしかかりました。

3. 危険な状態と、回復の第一歩
2018年後半から2019年にかけて、状況はさらに深刻化します。
医師のヘルゲ・リーペンホフは「このままでは自転車を辞めるしか回復の道はないかもしれない」と考え、入院も検討したほどでした。
チームは心理学者のデイビッド・スピンドラーを呼び寄せます。
スピンドラーは「自傷や自殺のリスクが高い」と判断し、
カヴェンディッシュと「何かする前に必ず私に連絡する」という約束を交わしました。
カヴェンディッシュは薬を使わず、
医師・セラピスト・認知神経科学者などの専門的なサポートを受けながら、少しずつ回復を目指します。
スピンドラーは彼と一緒にトレーニングをし、スクーターで並走しながら話を聞き、
少年時代に自転車に乗っていた頃の「自由な感覚」を思い出させることで、心を開かせていきました。
4. チーム移籍と、回復の過程(2020〜2021年)
2020年:Bahrain-McLaren
Dimension Dataを離れ、ロッド・エリングワース監督率いるBahrain-McLarenへ移籍。
しかし新型コロナウイルスの影響もあり、全く結果を出せず。
ツール・ド・フランスにも選ばれず、ヘント〜ウェベルヘムではレース後に涙を流し、
「これがキャリア最後のレースかもしれない」と語るまで追い詰められていました。
2021年:Deceuninck-Quick-Stepへの復帰
多くのチームから見限られる中、パトリック・ルフェーヴルが率いるQuick-Stepが
「最低年俸(約4万ユーロ)+自己スポンサー持ち込み」という条件で彼を受け入れます。
これが転機となりました。
2021年、彼はツアー・オブ・ターキーで3年ぶりの勝利を挙げると、
ツール・ド・フランスでは第4・6・10・13ステージの計4勝を達成。
エディ・メルクスの通算34勝に並び、ポイント賞(マイヨ・ヴェール)も獲得する大復活を果たしました。
何が彼を立ち直らせたのか

カヴェンディッシュが繰り返し語るポイントは以下の通りです。
1. 「一人で抱え込まない」
話をすることが何より大切だと実感した。
2. 家族の存在
新型コロナウイルスによるロックダウン期間に家族と過ごした時間が、大きな支えになった。
「自転車が人生で最も大事なものではない」と気づいた。
3. 「希望を捨てない」こと
「うつ病は誰にでも起こりうる。強い弱いの問題ではない。化学的な病気だ」
「どこにいても希望を持ち続け、良い人々を周りに置くことが大事」
4. アイデンティティの再構築
「勝者・カヴ」だけでなく、「夫・父親・友人」としての自分を認め直したこと。
最後に
世界のトップアスリートでさえ、うつ病に苦しむことがある。
それは「弱さ」ではなく、病気だということ。
そして、回復は可能だということ。
カヴェンディッシュの物語は、単なるスポーツのサクセスストーリーではありません。
心の闇を経験した一人の人間が、再び光を掴み取った記録です。
もし今、あなたが「空っぽ」だと感じているなら、彼の言葉を少しだけ思い出してみてください。
「あなたは一人じゃない」と。



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